2023年


ーーー8/1−−−  3年ぶりのレッスン


 
コロナで休んでいたチャランゴのレッスンを、3年ぶりに再開した。先生と会うのも、3年ぶりである。会ってしばらくの間、コロナ禍の年月について、語り合った。レッスンが出来なくなり、離れて行った生徒も多く、活動していた演奏グループも解体し、発表会も無くなった。もはや昔日の体制は崩壊したとのことだった。

 「ところで、練習は続けてきたの?」と問われたので、いちおう毎日楽器に触れるようにはしていると答えた。そして、二年前の春、ある集団の文化祭に招かれて、リサイタルをやったが、その時は4ヶ月間ほど力を入れて練習をしたと述べたら、先生は大いに関心を惹かれた様子だった。

 どんな曲を演奏したのかと問われたので、当日会場で配った曲目リストのカードを見せた。6曲並んでいるが、そのうちの4曲は先生から指導を受けたものである。手応えはどうだったかと問われたので、自分としてはまあまあの出来だったと思うが、聴衆の反応は期待したほどでは無かった、と答えた。先生は、チャランゴ一本で聴き手の心を動かすのは、なかなか難しいことだ。ギターの伴奏が付けば、全く様相が違ってくるのだがと、慰めるような発言をした。

 どんな演奏だったか、聴かせてみてくれと言われたので、チョロッと一曲演奏した。弾き終わると先生は、「上手に弾けているが、独り言のような演奏という印象だ」と言った。そして「独り言の演奏が悪いというわけではないが、初対面の聴衆を前にして演奏する場合は、もっとメリハリを強調して、大袈裟なくらいに感情移入をしなければ、聴衆の心を動かすのは難しい」と続けた。

 先生は、それからいろいろ言葉を変えて説明をしてくれた。とても勉強になった。しかし、大袈裟なくらい感情を込めるというのは、少なくとも私のように内気で控えめな性格の者には、簡単に出来ることでは無い。先生の説明はいちいち納得できるものだったが、そのアドバイスを実現するまでには、さらに長い道程を要するだろう。




ーーー8/8−−−  蕎麦粉の品質


 
これまでも何度か取り寄せたことのある北米産の蕎麦粉を、この7月に購入した。この粉は、地元安曇野産のものと比べて、半額程度の価格である。

 蕎麦を打ち、毎日昼に食べる。一回打つと6食分出来る。以前は2食ずつ食べていたので、3日間のサイクルで蕎麦を打った。このような事を続けていくためには、なるべく安価な蕎麦粉を使いたい。くだんの北米産の蕎麦粉を使い始めたのは、そのような理由による。

 いくら安くても、不味ければ興醒めだが、最初に買った時の品質(風味と扱い易さ)が、思いのほか良かったので、気に入った。その後、使い切るたびに注文を続けた。昨年後半から、食べる量を減らして1食にしたので、6日間のサイクルとなった。10kg袋で届くので、6日間のサイクルで消費すると、使い切るまでおよそ5ヶ月間かかる。その間に粉が劣化するのではないか、との不安もあったが、1回分ずつ小分けをしてビニール袋に入れ、冷凍庫で保存したら、ほぼ問題無い事が分かった。

 今回取り寄せた粉は、これまでの物とはいささか様子が違っていた。水を加えて練った時に、滑らかさや粘り気が乏しく、パサついた感じがした。打ち終わって茹でてみると、麺の感触は悪くは無かったが、繋がりが弱かった。以前のように、ツルっと長い麺には仕上がらなかったのである。

 気になったので、メーカーのサイトの、この商品の欄を調べて見たら、「石臼挽きよりもしっとり感が少なくサラっとしているので、つなぎ(小麦粉)を少し多めに(3〜5割程度)加えていただくと打ちやすい」という記載があった。以前は、このような注意書きは無かったように記憶している。

 そこで、お問い合わせフォームを通じて質問してみた。内容は、「これまでと比べて今回の粉は粘り気が少ないように感じる。以前は注意書きは無かったように思うが、ロットによって品質が違うのか?」

 翌日返事があった。

 「元々通常のそば粉に比べるとサラッとした感触が特徴の蕎麦粉であり、説明文は数年前に書き添えたと思う。粘り気については、農作物なので原料や季節による影響が大きく、今回の粉は昨年の秋に収穫されたものであり、今の時期は最も粘り気が落ちてしまうのは確かである。また昨年度は不作だったので、原料自体の元気も少なく、例年に比べて少し乾き気味な感じがある」 とのことだった。そして、加水量やつなぎ粉の割合などで調整してもらいたいとのアドバイスが添えられていた。

 誠実な対応で、好感を持った。しかしながら、その後つなぎ粉の量を変えたりしてみたが、さほどの改善は見られなかった。

 通常のペースで使い続けると、あと5ヶ月ほどこの粉と付き合わなければならない。いささか気が重い。




ーーー8/15−−−  不躾の背景


 
だいぶ以前の事だが、知人の別荘に遊びに行ったら、知人と懇意にしている著名な女性作家がたまたま来ていた。その女性と私は初対面である。そこへ、別荘へしょっちゅう出入りしている、近所の小学生の女の子がやってきて、宿題の詩の朗読を始めた。知人は私に、大人の詩の朗読を聴かせてみてくれと言った。私は、求められているものを察し、ことさら大袈裟に、恥ずかしいくらいに抑揚を付けて、朗読を試みた。読み終わると、横から女性作家が口を挟んだ。彼女は、まったく予想もしなかったことを言った。「単調でちっとも面白くない」と言う意味のことを、もっと口汚い言葉を用いて、吐き捨てるように言ったのである。

 まことに不作法、不躾な発言である。人に喧嘩を売るような物言いである。相手の行為が自分の評価にそぐわないとしても、まともな社会人なら、最低限の礼儀はわきまえるものだ。それに、言いたい事があるのなら、それが建設的な意味を持って相手に伝わるよう、冷静な知性と忍耐をもって臨むのが、良識ある人間のあるべき姿だと思う。 

 後になって、私はこう考えた。私自身の外見、態度、身のこなし、喋り方、発言の内容など、つまりキャラクター全般が、その女性作家にある種のネガティブな先入観のような印象を抱かせたのではないか。そうでなければ、こんなにひどい言い方をされるはずは無い。

 何が気に障ったのかは知る由も無いが、人の心の奥底は、謎である。

 ところで、このエピソードを、別の女性作家、と言ってもくだんの人物とは大きく知名度に差がある人物に話したことがある。するとその女性は、一言のもとに、「ありそうなことね。だって、あの人、野蛮人だもの」と言った。

 恐ろしい業界である。




ーーー8/22−−−  さんざんだったお盆休み


 
この8月は、長女が娘二人(小1、小3)を連れて二週間、次女家族(次女、旦那、9ヶ月の娘)が数日遅れで一週間滞在する予定になっていた。長女の旦那は、仕事の都合で初めからは来れないが、終盤に車で迎えに来る手筈だった。

 長女組は、予定通り5日(土)の昼に松本空港へ着いた。待ちに待った、孫たちとの夏休みの始まりである。それから三日間は、問題無く楽しく過ごした。

 長女の下の子が、4日目の朝に38度の熱を出した。医者で診てもらったら、胃腸の風邪だとのことであった。コロナを心配したが、外れて良かった。しかし容体が回復するまで、数日かかった。そのため、次女一家の来訪は二日延ばしとなった。次女組が車で到着したのは12日(土)の夕刻。台風の接近が取りざたされた頃である。

 14日(月)、私は起床直後から、頭痛と喉の痛みが激しかった。いつになく体調が悪く、嫌な予感がしたが、長女組みとアルプスあづみの公園へ遊びに行く約束をしていたので、開園直後を狙って出掛けた。孫たちは、お目当てのマシュマロドームなる遊具で遊んで、楽しそうだった。下の子も完全に体調が戻っている感じであった。正午過ぎに自宅へ戻ったら、悪寒がした。熱を計ったら、38度を越えていた。急きょ、その日の午後に予定されていたマツタケ山の作業はキャンセルし、ベッドに就いた。もし無理をして山の作業へ行ってたら、さらに大変な事態になっただろうと、後になって思う。

 私の熱と喉の痛みは連日となり、孫と遊ぶこともできなかった。17日の朝、次女の8ケ月の娘が39度の熱を出した。もう戦場のような騒ぎである。お盆休みが明け、医院が診療を始めているので、婿殿の運転で小児科へ連れて行った。医者の診たては、突発性発疹だった。それなら、まず問題は無い。

 一方私は、次第に治まりつつあるとはいえ、症状が長引いているので、町の総合病院へ出掛けて検査をしてもらった。そうしたら、コロナ陽性の結果が出た。このご時世だから、その可能性は少しは頭にあったのだが、実際にそう言われると、やはりショックだった。その結果を受けて、長女の旦那が迎えに来る件は中止となり、長女と孫娘二人は、空の便で帰ることになった。

 18日の朝、神戸組(次女一家)が神戸の自宅へ向けて帰って行った。そして続いて、大阪組(長女一家)我が家を出た。松本空港まで私が送って行った。私はもはや発熱は無く、自覚症状も納まっていた。しかし空港ターミナルでの見送りはせず、車から降ろしたところでお別れとした。

 この夏の、孫を迎えての休みは、いろいろな計画があった。それらのほとんどが、孫の風邪と、私のコロナでオジャンとなった。

 今回のために購入した大型のビニールプールは、孫が熱を出す前日に1回使っただけに留まった。

 孫たちと一緒にハンモックを作ることを、私は今回の目玉に据えた。事前にネットで調べ、設計をし、資材を購入して臨んだ。孫たちと作業を始めたが、途中で中断となった。

 アルプスあづみの公園松川地区のイルミネーションを見に行く予定だったが、キャンセルとなった。

 孫たちと共に付近を散策し、安曇野の風景を見せてやるのが恒例の楽しみだったが、今回は上の子と1回散歩しただけだった。

 チャランゴやケーナの演奏を聴かせてあげて、音楽の交流を持つことも、ほとんどできなかった。

 簡単な木工体験(木ぼうず作り)を考えていたが、口に出す間も無かった。

 次女の旦那と北アルプスに日帰りで登る予定も立てていたが、もちろん中止。もっとも台風の影響で、もとより可能性は低かったが。

 長女の旦那は、私のお気に入りの酒を携えて、こちらへ向かうばかりになっていたが、これもキャンセル。

 買い揃えてあった花火は、連日出番も無かったが、ようやく最終日の夜に、思い出したように、こじんまりとした花火の会が催された。

 まことに残念な夏休みとなった。

 しかし、負け惜しみではないが、これはこれで一つの経験になったかと思う。

 全てが上手く運び、喜び、楽しみ、幸せに満ちた夏休みは、もちろんステキだろう。

 その反対とも言うべき、降りかかる災難、困惑、挫折、そして恨み、悲しみが交錯する状況だった。

 それでも、なんとか耐え忍び、お互いを励まし、心を強くして、結果的には穏やかな状態を維持することができ、笑顔で再開を約すことが出来た。これは当事者たちの、言わば心と精神の勝利である。信頼と絆の優位である。

 孫たちは、今はそれを理解するのは難しいかも知れないが、年を経るにつれ、そのような当事者となれるよう、じいじは祈ります。




ーーー8/29−−−  スリッパを遠くで脱ぐ人


 
食堂兼居間の床の上に、スリッパが一足揃えてぽつんと置かれていた。これは何かと思ったら、息子が脱いだものだった。玄関から外へ出る際に、普通の人は上がり框の所でスリッパを脱ぐ。それを息子は、居間の中ほどで脱でいるというわけ。これはしかし、たまたま偶然のことでは無いらしい。「自宅でもこうなんですよ」と息子の嫁さんが言った。

 ずいぶん前もって脱ぐものだ。おかしな光景である。部屋の中でスリッパを脱ぎ、すたすた歩いて玄関まで行く。逆に、外から戻ったときは、玄関から素足のまま歩いて部屋に入り、そこでスリッパを履く。息子に理由を聞いたが、特に意味は無いとの返事だった。

 息子は、いささか常人と外れた部分がある。言わば変人である。この習慣も、その断片かと思われた。しかし、ある時、これも捨てたものではないと気が付いた。

 毎日昼食に蕎麦を食べる。茹で汁は、裏庭に捨てる。台所のシンクに流すと、排水口が詰まるからである。湯がなみなみと入った鍋を両手で持って台所を離れ、玄関から出て裏庭に運ぶ。転んだりしたら、熱い湯をぶちまけてしまって危ない。それなりに緊張感を持って行なう運搬である。

 そこで問題なのは、上がり框の所でスリッパからサンダルに履きかえる動作である。きちんと両足をスリッパから抜いて、しかる後に片足ずつ土間に下してサンダルを履けば良いのだが、時としてその動作に狂いが生じる。すなわち、片足がスリッパに残っている状態で、もう一方の足を土間に下し、サンダルを履こうとする。つまり、脱ぐ動作と、履く動作を同時進行でやってしまう。これが危ない。一方の動作に気を取られ、他方がおろそかになり、足がもつれてしまうのである。

 これは蕎麦の茹で汁を運ぶ時だけではない。急いで玄関から出ようとした時に、これでヒヤッとした事が何度もある。足がもつれてバランスを崩し、倒れそうになったこともあった。一時に二つの事を行うと、ミスをしたり、場合によっては危険を生じるものだが、その身近な例が、これである。

 それに気が付いてからは、茹で汁を運ぶ際に、台所のドアの所でスリッパを脱ぎ、数歩を歩いて玄関の土間に下りるようにした。簡単な事ではあるが、これで安全が確保されたという実感は、とても大きい。